名づけえぬもの

出典: ウィキ

夜である。
ホテルの一室。暗がりのなかに彩子と祐司はいた。2人は裸だった。
「こわいのよ」
彩子が言った。
「え、僕がいても」
と祐司。
「そう」
「なにがそんなに恐いの?」
「分からない。それが分かればこわくないはずだわ。嫌なことが起きそうな気がする。
 避けようもないし、防ぎようもない。いまだ名づけえぬものが来る。わからない。
 こわい」
「それって、予感?気のせいじゃないの。僕が忘れさせてあげる、朝まで抱きしめていてあげる」
 ばかな男、と彩子は思った。だが、とても愛しいとも。
 その時、祐司の腕のなかで祐子は黒い影を見た。祐司の背後にそれは壁を通り抜けてきたように見えた。
「逃げて!」
 彩子が言うより早く、その影は祐司の肩口に一撃を加えた。
「うっ」
 肩を抑え祐司は振り返った。そこには巨大なヒトデのようなものが立っていた。長く伸びた触手の数は10本以上あった。その1本が祐司に打ち下ろされたのだ。彼は自分の傷口に触れた。そこはヤスリをかけたかのように削られてしまっていた。「なんだこれは」、祐司は思う。そして、その頃になってやっと血が珠のように滲んできた。痺れるような痛みが自分の心臓の鼓動とともに強弱を繰り返す。
「ば、化けもの」
やっと声が出た。祐司は叫ぶ。その途端巨大ヒトデは「化けもの」になった。
 彩子は跳ねるように立ち上がった。
 触手が縮み、そしてまた、祐司に向かって放たれた。祐司は目をつむった。しかし二撃目はなかった。再び目を開けると、そこには彩子がいた。全身を青く染めて。その姿はクラインのヴィーナスのようだった。彼女の足下に「化け物」の残骸が散らばっていた。彩子の身体の色は「化け物」の血を全身に浴びたせいだった。
「ありがとう、名づけてくれて。あれらが私たちの敵よ」
「あれら、って」
「化けもの、よ。あなたが名づけてくれたんじゃないの。そしてそれは1つじゃない。複数いるから、『あれら』よ」
 青い彼女は微笑んだ。凄惨な笑みであった。
「まだ、目覚めてないのね」
「君は一体なんなんだ」
「私はあなたの」